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成東小学校寄贈作品「麒麟」 by 小沼智靖

昨年の6月、CHARCOAL&AXE発起人であるWO-unに、山武市立成東小学校から立ち枯れしてしまったヒマラヤスギの伐採依頼がありました。2019年の台風被害で枯れてしまったという事でしたが、最初に見させて頂いた時、それまでの枝の切られ方に正直違和感を感じずにはいられませんでした。

改めてその視点を持たないと中々見えてこない事ではありますが、植物の葉は光合成で栄養を作ると同時に根から水や養分を吸い上げるために必要な蒸散が行われる器官でもあります。だから剪定をする際(樹種によって異なりますが)切り方、切る時期や量などを考慮しないと十分な水や栄養を得られなかったり、腐りが入ってしまったりして木を弱らせ最悪枯れてしまいます。大きくなりすぎてしまった、枝が折れて落ちて来たら危ない、日を遮ってしまう…。大きい声を持つ者の都合や事情が優先されるのは世の常なのかもしれませんが、声小さきものたち、更には声を持たないものたちをないがしろにすることによって生まれる弊害を今まで私たちは散々経験してきたはず。
それはきっと森でも社会でも教育の現場でも同じこと。

今回伐採から処分までを依頼されたのですが、実はこの成東小学校はWO-unの佐瀬の母校でもあり、約30年前佐瀬が通っていた頃は勿論、そのもっと前からこの学校とここに通う子供たちの歩みに寄り添ってきた木々たち。
それをただ伐って「無かったこと」にするのはあまりにも忍びなく、私たちが日向の森で行っている「森との出会い直し」の片鱗を、声持たぬものたちの声を想像するきっかけを、何か形として残すことは出来ないか・・・ 
そんな想いや経緯と、日向の森にある小沼智靖さんの作品が私たちの頭の中で出会ったところからこの物語は始まりました。

木漆芸作家で器はもちろん家具やお面なども手掛ける小沼さんは、日向の森で、台風で中折れした被害木をその場で彫りだした作品群(写真上)を展開して下さっており、森を初めて訪れる人たちは必ずと言っていいほど、作品が視界に入った瞬間、その表情、佇まい、そしてそのまなざしに圧倒され、感嘆の声を漏らします。
この小学校のヒマラヤ杉も一部残した状態で子供たちを見守るような作品を彫って頂けないかと相談したところ子供たちの為なら是非、と快諾頂きご協力して下さることになりました。小学校の方にもその旨提案し、「環境教育という面でも、アートという面でも凄く意義のある事」という事でご賛同いただき小沼さんの作品を寄贈させて頂く運びとなりました。

傾斜地の為、周りに脚立を建てられるように足場を組み昨年の10月から約二か月間、小沼さんにお仕事の合間に埼玉から通っていただき、子供たち、先生方、父兄やご近所の方々に見守られながら、一彫り一彫り願いを込めるように制作は進められ実質2週間ほどの制作期間を経て11月末に完成。

出来上がったのがこちらの作品。

ヒマラヤ杉から生まれ出て、天を仰ぐ麒麟。

そのまなざしの先にどんな景色が広がり、開きかけた口から何が語られるのか…

小沼さんから子供たちに贈られた言葉

「麒麟は、みなさんが見たことのある動物のキリンではなく、想像上の生き物です。 そのため、その形や意味に“これが麒麟なのだ”という明確な答えはありません。 だから、この小学校で生まれた新しい神様が何を考え、何を見つめ、語り、どこへ向かおうとしているのか。それは、皆さん一人一人の心の中にあります。是非自由に、この麒麟の“これからの物語”を想像してください。」

今回私たちにとって凄く大きかったのは、出来上がった作品をポンとそこに置くのではなく伐採から制作まで、私たち大人が環境と、社会と、どう向き合い関係性を構築していくかという一つのプロセス<物語>を、景色として、子供たちの記憶に映せた事。

でもどれだけ私たちがそのプロセスを大切にして、心から美しいと思うものを贈ったとしても、それはどこまでいってもどこか独りよがりでしかなくて

誰かにとってはもしかしたら意味のない事に映るかも知れないし、小沼さんと共に私たちが投げかけた小さな小石がたてられるのはさざ波程度かも知れない

それでも誰かの水面を揺らしたこの小さなさざ波が、いつか、ふとした瞬間に気付きや成長に変わるうねりとなり、声持たぬものの声を、形無きものの存在を想像するささやかな後押しとなりますように。

そんな願いと、祈りを込めて…

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成東小学校寄贈作品「麒麟」

2021年11月30日  

寄贈:WO-un × 小沼智靖 

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