KAOLY(和太皷バンドGOCOO・和太皷TAWOO)
アウトドアは苦手だ。
自然は太刀打ちできない感じがして、距離感が縮まらない。
観葉植物も枯らす方が得意というトラウマ。
そんなワタシに突然訪れた、まさかの「森」との蜜月。
人生いくつになっても、ナニが起きるかワカラナイものだ。
でも、それほどに、この森はなんだろう、、、
不思議な魅力に満ちているのだ。
それは、整って、完成されたものの魅力とは違う。
むしろ、スキだらけの、未完成さが
ワタシや仲間達が次々とハマっていく所以だろう。
太皷と同じ。スキは、間だ。
音と音の間に、心地よい間があるから
聴き手を音の中に引き込むことが出来る。
初めての森林整美の日、WO-unのクリさんと響さんは
ド素人のワタシに、一緒に森を歩きながら
人のカラダになぞらえて、森の話をしてくれた。
具体的に、どんな作業をしろとは何も言わなかった。
でも、腸の部分を歩いている時
「2019年の台風被害でめちゃくちゃになってしまった
腸内環境を整えてあげたいんだ。」と言った。
この言葉が、ワタシに火をつけた。
相手が人間だろうが森だろうが、それはワタシの人生のテーマだ。
初めは何をどうしたらいいのか、分からなかったけれど
腸内環境を整えるんだ、と思いながら
まずは散らかった枝を1本拾ったら、そこからは身体が自然と動き始めた。
眺めていたものに、
初めて触れさせてもらった
手を入れさせてもらった
繋がらせてもらった体験。。。
でも人間のチカラで、自然をねじ伏せて、変えてしまうのとは違う。
そんなチカラは及ばないほど、自然は強いことも見せつけられたし
森は、ワタシ達をそこで遊ばせてくれながら、触らせてくれながら、
悠然と構えている。
日向の森で過ごす1日が何故、こんなにも心地よいのか。
ワタシにとって、森は、なにもかもが太皷に通ずることばかりで
森全体が、教えで出来ているようにさえ感じられる。
一方で、夢中になって作業していようが、こども達とひたすら遊んでいようが、
草花や虫を観察していようが
そこでひとりひとりが放つエネルギーを
森が吸収して、栄養にしてくれてる気がする。
自分がそこに存在すること、が、なにか役に立てているような気持ちにさせてくれる。
ワタシ達が生きた証が、大地に記憶されていく。
それはものすごく幸せな感覚だ。
そういう森との関係性が、日向の森の魅力なんだろう。
それは、WO-un のクリさんと響さんが
森のつくりなおしをしながら大切にしてきたことなんじゃないかと思う。
だから、森がすっかり出来上がってしまって
やることがなくなったら淋しいな、と思ったときもあった。
でも、そんな時は来ないんだろう。
クリさんも響さんも、自然を人間の都合でねじ伏せることはしないから。
自然とおつきあいするってことは、ずっと、お互いスキだらけの未完成なまま
そのスキのところで、みんなが共生していくってことなんだろう。
わしわしと森に分け入って、みんなの笑い声を遠くに聴きながら
森林整美に没頭するのは、至福の時間だ。
太皷に導かれた場所で、いろんな種が芽吹き始める。森にも、人にも。
これは紛れもなく祭りのはじまり。